いよいよAIR Franceでイギリスへ上陸します。

シャルル・ド・ゴール空港からHeathrowへは1時間半ちょっとで行けます。

流石ヨーロッパ景色が綺麗だ


離陸してすぐに機内食が出ますが・・・
ソフトドリンクとクロワッサンだけとシンプル

フランス語バリバリなブロンドヘアーのCAが
クロワッサン持ってきれくれます、
余ったからか食べ終わった人に クロワッサンのおかわりを持ってくるw
友人に「クロワッサン余らせるのが嫌だから客にお代わり上げてるのかな?」と聞こうと
くろわっs っと言いかけたら、フランス人スッチーが背後から接近してきて「クロワッサン?」と
トングでクロワッサンを掴みながらニッコリ見てくるw
計3個食べました。 (ラウンジで大量に食べすぎたから結構重いw)

エールフランス1680便の機内食
・クロワッサン
・カフェオレ

とりあえずHeathrow空港に到着

噂通りのイギリスらしい天気


デルタ スカイマイル AMEX ゴールド・カードで楽々 エールフランスのスカイプライオリティレーンを進もう




入国審査も出国もデルタ スカイマイル
アメリカン・エキスプレス・ゴールド・カードのエリート会員特典のゴールドメダリオンであまり並ばずに入国審査の所までたどり着けます。


手荷物受取も素早く受け取ることが出来ました。


イギリスの入国審査は厳しいと噂で聞いていましたが、意外と簡単でした。
まず乗継便でキャビン・アテンダントの方から渡された、
入国カード(Landing card)に必要事項を記入します。
(ここに記入漏れとか不備があった場合は咎められます)
感じとしては入国目的は?イギリスに何日間滞在しますか?とかそのぐらいで拍子抜けでした。w
(2016年にユーロスターを利用しましたが、ユーロスターの入国審査のほうが色々聞かれました)

(映画けいおんの唯みたいに観光目的なのにサイドビジネス!(キリッ!)と
入国審査官に言うともれなく別室に連れて行かれて尋問されますので、
絶対真似しないでください。)


スカイプライオリティなのでスグに荷物が排出されます、


SIMカードが売ってました、(SIMフリーの携帯なら入れ替えるだけで簡単に使えます)

しかし禿バンクの縛りiPhone6なので使えないので、羽田で借りたモバイルルーターを使いました。

グーグルマップを多用するので海外用mobile Wi-Fiは1日で500MBは欲しいですね、
(待ち受けてるだけでもじわじわと容量が食ってしまい1日250MBだとしんどかったですw)
裏を返せば行き先場所だけ確認してこまめにWIFIの電源を落として、TwitterとかLINEはホテルのWi-Fiを利用すれば、
1日で250MBでも行けると思います。




あとアイスクリームの販売機も有りました、
映画けいおんの特典DVDで山田監督がヒースロー空港に到着した時に気になってアイスを買ってた販売機がこれですね。
UFOキャッチャーのアームに掃除機みたいなのを取り付けてあり、
硬貨を入れてその商品のボタンを押すとケースが空き、バキュームで商品を吸い上げて
商品の受取口まで投下するというなんとも回りくどい販売機w

しかしポンドを入れてもクレカを挿しても買えない・・・ ただ電源は入っていて商品も入ってる
しかもなんかお金飲まれて途方に暮れてるアジアの方もいました、
やっぱり日本の販売機が一番だな。

とりあえずHeathrowからホテルのあるEarls Courtまで地下鉄(UNDER GROUND)で向かいました。




イギリスの鉄道料金システムはややこしいです!まずZONEというのが設けられています、
※ヒースロー空港はゾーン6になります。

あと通勤ラッシュ時間帯(朝6時~9時半) 帰宅ラッシュ(16時~19時)は運賃が高く設定されています。
とりあえず窓口でオイスターカードという非接触型ICカードを購入してください。
イギリスに入国する前に英国政府観光庁のオンラインショプにて購入して日本で受け取ることも出来ます
※出発する間に受け取れるように余裕を持って購入してください。

早い話日本で言うPASMOとかSUICAですね。
これに50£ぐらいチャージしておきます、
なおオイスターカードよりもトラベルカードという券のほうが安い場合もあるので、
事前にイギリス観光庁のHPでチェックしよう。
(どのみちバスでも使えるのでオイスターは買っておきましょう。)



なお2016年にクレジットカードを誤って改札にタッチしたらコンタクトレス機能で決済したことになり
改札が開きました。(オイスターカードとクレジットカードは別個に入れておいた方が無難です。
重ねてタッチさたらクレジットの方でも引き落とされてるってことになってしまうかも・・・
ちなみに間違えてタッチしたのでその旨を駅員に伝えましたが、
キャンセルとか返金出来ないと言われました。)

 ピカデリー線に乗り Heathrow Terminals 2 & 3駅からアールズコート(Earls Court)へ向かいます。
アールズコート駅を出たところ、イギリス上陸後初の町並みを見た




電柱や電線の類がないので街の景観が素晴らしい!

歩いて泊まるホテルに向かいます。12分ぐらいで到着します。
歩いて行ける距離ですがバリアフリーになってないので多少デカイキャリーケースを
引っ張ってる人は苦労するかもしれません。
(歩道が工事中で凸凹していて運ぶのに苦労しました)
なおイビスアールズコートの最寄り駅はwest brompton駅ですので、
ヒースロー→アールズコートで乗り換えてwest bromptonで乗り換えるほうが楽です


hotel ibisEarls Courtです、
知ってる人は知ってるホテルで映画けいおんでHTTの一同が泊まった事で有名

まだチェックイン時間ではないので荷物を梓CATしてもらって出かけます。
現地時間は午前時前後だったのでフルで遊べます。

イギリスの郵便ポスト、日曜日は営業していないようだ。


ナショナル・アーミー・ミュージアムを見学するため ウェスト・ブロンプトン駅へ向かいました 。




そこで
District線を使って ウェスト・ブロンプトン駅からSloane Square Stationで下車します、
そこからNational ARMY MUSEUMという博物館へ向かいました。


住所的にはチェルシー(Chelsea)です、高級住宅街であのサッカーで
有名なチェルシーFCのホームスタジアムもある地域です、
(007のジェームズ・ボンドもチェルシーに住居があるという設定のようだ。)



住所のところに行ったら王立チェルシー病院というところに来てしまったが
https://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Hospital_Chelsea
MTP来たエゲレス兵がわんさかいた、
ココは退役軍人の方々や負傷兵の方を300人収容出来る病院で
元々はチャールズ2世率いる兵の隠れ家として1682年につくったそうな

ここにはシンゴラで造られたシンゴラ砲という大砲が飾られているそうだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sultanate_of_Singora
(シンゴラはマレー作戦の激戦地だったそうな

この病院の横にNational army museumがある筈なのだが・・・

廃墟っぽいものしか無いし・・・グーグル先生バグったのか?
とりあえず病院の周りを一周するが敷地がかなり広い・・・


道路の向こうにテムズ川があり peace pagodaという仏塔が見える。
なんか名古屋の僧侶の方が作ったそうな。


王立チェルシー病院を一周するのに
20分近くかかった 。

一周したがそれらしい建物が廃墟に該当する・・・・
近くにいたイギリス人工事作業員のおっさんに聞いたら

National army museum?here 」

俺( ゚д゚)ポカーン 
工事のおっさん「来年まで工事だから来年きてww」(横書きは英語と思え)
友人(#^ω^)

ココにはパンサー戦車やドーラの4.8t榴弾
ルドルフ・ヘスが和平しようと英空軍の哨戒や対空機関砲網を突破してきた際に使ったメッサーシュミットの残骸等色々展示されていたのに・・・・・・・・・・・・(´・ω・・∴

とりあえずここから離脱してヴィクトリア駅に向かいます




ビクトリア駅でロンドン市内巡回観光案内バス(BIGBUS)に乗り イギリスを巡回します。
(2日券+水上バス券38£(2015年6月当時1£203円なので約8000円近い・・・)

バスに乗るとイヤホンを渡され2階建てのBusの座席にイヤホンジャックがあるので
挿すとBusが現在走っている解説をオーディオガイドで聞くことが出来ます、
しかも日本語も対応しているのでかなりおすすめです、
下記の慰霊碑とかの解説も日本語でしてくれるので助かります。


他にも様々な特典もあるのでオススメです、
なお事前にイギリス観光庁のオンラインショプで購入出来ます。


メトロポリタンポリス 治安は問題無さそうかな。
BIGBusでロンドン市内を散策します。


ギリシャ神話の英雄アキレウスの銅像

ハイド・パーク・コーナーに設置されている。ギリシャ神話の英雄アキレウスが使っている。
アキレウスの盾の形は戦争と平和を象徴してるように見えると
ヴォルフガング・シャーデヴァルトが言ったそうな。


でかい・・・ちなみにアキレウスが弱点の踵を射抜かれて命を落とした
これがアキレス腱の名前の由来になったそうだ。



ウェリントンアーチWellington Arch

ハイドパークコーナーの王室公園改善計画のひとつで1825~7年にかけて建てられた。
ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーがワーテルローの戦いでナポレオンに勝利したのを記念した凱旋門である。
門の上の像は4頭立ての馬車に乗って地上に降りる平和の天使を描いている。


ウェリントン卿が騎兵用に開発を依頼した革製の長靴がのちにウェリントンブーツと呼ばれるようになり、
英国紳士の間で流行しその後、ゴム製の長靴へと姿を変え
第一次世界大戦でぬかるんだヨーロッパの塹壕で戦うことを余儀なくされた
イギリス軍に大量のゴム製ウェリントンブーツが支給されたそうです。
そして第二次世界でも支給され、戦後もウェリントンブーツを作業用に履く人が増えて一般的にも広まったそうです。

ちなみに現在でも雨靴のことを英語で
wellingtonsもしくは略してwellies(ウェズリー)と呼んだりするようだ。



Animals In War Memorial

http://www.animalsinwar.org.uk/
戦争で犠牲になった様々な動物の為の慰霊碑です、
物資を運んでいるロバ

日本では戦時中上野動物園で戦時猛獣処分でゾウ、ライオン、トラ、クマ、ヒョウ、毒蛇といった動物が殺処分されてしまいましたが、

イギリスも例外ではない様でバトル・オブ・ブリテンで独から空襲された際に逃亡防止のために
London動物園では無脊椎動物のサソリや毒蛇が殺処分されたそうな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82%E7%8C%9B%E7%8D%A3%E5%87%A6%E5%88%86#.E4.B8.8A.E9.87.8E.E5.8B.95.E7.89.A9.E5.9C.92.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E6.88.A6.E6.99.82.E7.8C.9B.E7.8D.A3.E5.87.A6.E5.88.86

そういえば初期の映画ハリーポッターで蛇が脱柵して来場者が悲鳴あげて逃げ出すシーンが有りましたね。
北アイルランドのベルファスト動物園ではライオンやオオカミ、ハイエナ、ホッキョクグマなどが
殺処分されたそうな。



王立砲兵戦争記念碑
Royal Artillery Memorialと

ハイド・パーク・コーナーにある英国砲兵隊記念碑です。
1902年ロンドンのハイド・パーク・コーナーに建てられた第一次世界大戦の記念碑で、
砲兵像の4体のうち、 3体は立像、1体は死者の姿で彫像されている。
その上の大理石の野砲(9.2インチのMKI榴弾砲)はソンムの戦いを記念している。


写真に収めることが出来ませんでしたが
https://en.wikipedia.org/wiki/Machine_Gun_Corps_Memorial
も有ります

オーストラリア戦没者慰霊碑

https://en.wikipedia.org/wiki/Australian_War_Memorial,_London
ミレニアム事業の一環として2003年11月11日に完成

第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵たちと、当時国の為に尽力した人々のために立てられて、
毎年4月25日はANZACの日としてここでは式典が開かれ毎年沢山の赤いポピーが献花される。

イギリスでは赤いポピーが第一次世界大戦における犠牲の象徴とされている

ポピーと桜
第二次世界大戦後 大学都市ケンブリッジには、
日本軍による捕虜虐待の悪夢に苦しむ元兵士たちが多く住んでいた。

ビルマで日本軍と戦ったイギリス人捕虜の1人だったフィリップ・メイリンズが戦後
他のイギリス人捕虜(日本軍に酷い仕打ちを受け戦後になっても日本を憎み続けてる)
と和解をしようと尽力を尽くしました、メイリンズさんは元捕虜や
退役軍人やその家族からしばしば裏切り者扱いされてしまいましたが、
努力の結果日本を憎んでいた元英国人捕虜たちは日本を訪問し、
かつての敵だった元日本兵たちと交流し誤解を解き和解していきました。

本来この問題は、国際法上、サンフランシスコ講和条約成立をもって解決したものなのですが、
1993年(平成5年)に細川護煕首相がイギリス人元捕虜に謝罪し、
「在英の日本企業に賠償させる」と発言したせいで英国内の捕虜の間で反日活動が再燃

1998年に両陛下が訪英される寸前に和解を否定する残りの英人捕虜達が
両陛下のご訪英を阻止しようと反日活動を展開したがフィリップ・メイリンズさんやフォール卿の活躍のお陰で訪英は成功しました。

フォール卿は
4月29日付の英紙「ザ・タイムズ」に、
「戦時中、日本帝国海軍に捕虜になったが友軍以上の処遇を受けた」とする一文で、日本との和解を主張したものでした。

※フォール卿が主張したのは大東亜戦争下の1942年(昭和17年)の、日本の駆逐艦「雷」工藤俊作艦長によるイギリス海軍将兵救出劇です。

敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長


サーフォール(サムエル・フォール卿)は日英関係だけではなく日米関係の改善にも貢献しました

東芝ココム違反事件でロシアの潜水艦の静音性が向上し、
米海軍がロシアの潜水艦を探知率が50%減少し米国内でジャパンダッシングが起きた際
米海軍とアーレー・バーク大将ら提督はフォール卿の論文を機関紙「プロシーディングス」にchivalry(騎士道)というタイトルで掲載し帝国海軍を称賛ししました。
工藤艦長の救助劇を称賛したフォール卿は日米友好にも貢献してくれたのです。


日本と英国の和解に尽力をつくしたフィリップ・メイリンズさんですが
イングランドの国立記念追悼森林公園スタフォードシャーの「和解の森」を創設しました。
2001年の「英国における日本年 (Japan 2001)」の公式登録行事のひとつで、「日英両国の国民が国境を超えて戦争を記憶し、あらゆる犠牲を思い起こし、和解し再会する場を両国民の手によってつくりあげていこう」という試みの一環です、
残念ながらメイリンズ氏は2012年4月9日に亡くなってしまいましたが、
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130021_00000

今後とも日英友好の象徴として語り継がれることでしょう。

ちなみに自分の祖父はビルマでイギリス軍とイギリス領インド帝国軍と戦っていました。


祖父は輜重兵(しちょうへい)という今の陸自でいう需品科のようなポジションで従軍してましたが、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%9C%E9%87%8D%E5%85%B5
輜重兵科は昔の足軽のように軽視されていました、
祖父の同期の輜重兵科の方の中には力士いわゆる相撲取りの方もいたそうです。

輜重兵科の仕事はビルマの竪琴の如く人力あるいは三九式輜重車(リアカー)で
物資を運ぶことでした。
(現在ではロジスティクス(兵站)やインテリジェンス(情報)は極めて重要です。

しかし旧日本陸軍の兵站軽視の思想による輜重部門の軽視により弾薬食料医薬品が不足し
最終的にはイギリス軍に投降し捕虜になりました。
ジャワの極楽ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア
とよく言われた地獄のビルマです・・・。

でも以外なことに祖父達の場合、捕虜に対する処遇は悪くなかったそうで
食事は品質の悪い米主体だったそうですが、時にはコンビーフやスパム、coffeeや茶を分けてくれたそうです。
ビルマでの降伏日本軍人の抑留
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%A7%E3%81%AE%E9%99%8D%E4%BC%8F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%8A%91%E7%95%99
の通り戦後1年間は強制労働したそうですが、
その後無事に復員出来たそうですが
もし運が悪く待遇の悪い収容所&看守だったら・・・・自分は存在しなかったかもしれませんね。
今後ともイギリスとは仲良くしていきたいものです。



 ③ シャーロック・ホームズ博物館編へ続く

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